家族の話

実家に帰ってきました。

毎年お盆と年始だけ帰省しては、懐かしさに胸を打たれつつ、変わっていく町に切なくなります。

そしてここには長くいられないなという実感を擦り傷のように負っては逃げるように東京に戻ります。

 

母が好きです。

母に会いに毎年ここに戻ってきます。

賢く、強かで、美しい母。

幼い頃に父親が蒸発してから、まだ5歳にも満たないわたしと赤ん坊の弟を連れて実家であるこの田舎に戻ってきた母。

 

幼い頃はもう、神のように盲信していました。

自分と母が目に見えない根っこで繋がっていて、本来はひとつの存在なのだと思っていました。

もっと愛されたかったし、もっと甘えたかった。

 

シングルマザーで子どもをふたり抱え(しかもひとりは発達障害で)、やりたくないと抵抗していた水商売をやる。

実の親子のくせに絶望的に性格が合わない祖母同居し、蒸発した父の借金を返す。

週一しかない休みの日には図書館で借りた本を山積みにして読む。

その横で本をパラパラめくりながら、本ではなくてわたしを見てほしいと、しかし大変な母の貴重な休みを邪魔してはいけないと、ひっそりそばにだけいた記憶があります。

 

そんな母には物心つく前から常にその時々の彼氏がいたし、それが当たり前でした。

祖母は、わたしに母の悪口を言います。

 

「お前の母親は、『子どもよりも男のほうがかわいい』って言っていたよ」

 

そんなの知ってる。

母は素晴らしい人なのだから男が寄ってくるのは当たり前だし、対して何でもないわたしが一番に愛されるわけはない。

 

祖母はわたしや弟を寝かしつけながら、自分がいかに可哀想かを話します。

そして「〇〇ちゃんは優しいいい子だから、あれ(わたしの母)みたいにはならないよね」

「あんな冷たい子はいない」

「わたしにはもうお前たちだけなんだよ」と言い聞かせます。

 

夜は母が仕事に行ってしまうため、家には私たち子どもと祖母だけでした。

祖母が外で酒を飲んできた日は最悪で、泣きながら眠ったわたしたちの枕元で長いこと母への文句や自分の身の上をこぼします。

ひたすら寝たふりをしながら、ときには慰めながら、時間が過ぎるのを待ちました。

 

大好きな母の悪口を言われるのは何よりつらいことですが、「うん、うん、そうだね」とただひたすら話を聞きました。

 

母に顔がよく似ていたわたしは、感情がたかぶった祖母に母の代わりとして怒鳴られることもよくありました。

「お前もどうせ大きくなったらあの女のようになるんだ」「ろくな人間にならない」とわたしを責めたあと、祖母は泣きながら「〇〇ちゃんは優しい子だからね、あの子みたいにはならないよね」と謝ります。

 

また、母と祖母が大喧嘩をしているのを、目の前で、または深夜にたまたま目を覚ましてしまったときに聞きながら、心をここでないどこかに飛ばすことがうまくなりました。

 

 

大学進学とともに東京で一人暮らしを始めても、お盆と年末年始には必ず実家に帰りました。

中学生の頃にはすでに祖母とは別居していましたが、近所のため祖母の家にも顔を出します。

(祖母が飼っている犬に会いたかったんだよね)

 

おかえり、あら素敵になって、大学はどう?

わたしの話を聞くのも、はじめの数分だけ。

話し好きの祖母は、毎回こちらが口を挟む間もなく自分の話を繰り返します。

自分はどれだけ可哀想なのかをつらつらと話し続け、ときにわたしの母の悪口を挟みながら、繰り返し繰り返し。

 

若い頃こんな苦労をしてきた、こんなつらい目にあった、今もほらこんなに。

可哀想って思われたい。人から特別に思われたい。

うん、うん、そうだね、かわいそうだね。

 

年もあって年々友達が減っていく祖母の話を聞くことが孝行だと思っていましたが、しんどいもんはしんどい。

なかなか離してくれないため、適当な時間になったら母に電話してもらい、「帰ってこいって言われちゃったから!」と無理矢理脱出することもしばしば。

 

なんでわざわざこんなに削られに行くんだろう。その頃はまだなかば義務だと思っていました。

母は祖母に最低限しか会わない。自分が祖母と相性が悪いとわかっているから。

しかし祖母に会いに行くわたしを止めもしない。

 

わたしも社会人になり祖母に痴呆も入ってくると、仕事中に電話をかけてくることもありました。

内容はいつもの身の上話。いよいよだめだと思いました。

 

ある日また祖母から電話がかかってきて言います。

「〇〇ちゃんに20万円振り込んであげる」

 

は?

この前帰ったときもお金がないお金がないと言っていたのに?

聞けば弟にも、従兄弟にもお金をあげるという。意味がわからない。聞いてもお金の出どころがわからない。いきなりお金を渡す理由もない。

 

ただでさえ痴呆が入ってきているのに、こわくてそんなもの受け取れるわけがない。詐欺ではないのか?

疑って受け取ろうとしないわたしに焦れて、優しいように見せた祖母の声も段々と苛立ちを隠さなくなってきます。

どうしていきなりそんなことをしようとしたのか?それは………感謝されたいから。構われたいからでは?容易に想像できました。

 

そして頭によぎったのは、「もしここでお金を受け取ってしまったら、ずっとこの人の話を聞き続けるだけの理由を与えてしまう」ということです。

 

いらない、ほしくない。

そう言い続けると、祖母は傷つけられたような素振りをみせました。お前なんかもう顔を見せなくていい。ああ、この人本当にもうだめだ。

3年半前のこのときからわたしは祖母に合うことをやめました。

 

 

最近母から連絡が入りました。

祖母が入院している。病気で余命1、2カ月。本人には余命のことは知らせていない。

 

「今のうちに電話しておきな。死んだ後に、電話しておけばよかったって思ったって遅いからさ」

母は祖母のためではなく、わたしが後悔しないために電話をしろと言います。やさしい。

でもこわかった。やっと風化させた嫌な思い出をこれ以上、上書きされるのは。たとえ最後の会話になるとしても。母が「それならそれでいい」と言ってくれたことに救われました。

 

この時期に帰省することは1ヶ月ほど前から決めていたものの、それより先にお葬式かもな、と覚悟はしていました。

しかしその知らせもなく、帰省一週間前にまた母から「その日にお見舞いに行くんだけど、一緒に行く?」と連絡が入ります。

悩む。どちらかといえば行きたくない。

でも母が「あのおばあちゃんが私に感謝してるって言うのってびっくりでしょ。昔のおばあちゃんと違うよ。穏やかで」という。

 

かつてあんなに嫌っていた母に世話をしてもらわないといけない状況になったからか、自分の死期が近いのもわかっているのか、角が取れたという。

ほんとに?

疑いつつも、母がそう言うのであればと、行くと返事をしました。

 

久々に会った病室の中での祖母は、確かに小さく細くなっていました。

わたしが来ることは知らされていなかったのでしょう、髪がピンクになった(しかもちょっと悪そうな格好をした)孫娘を見て「誰?」と言いました。(そりゃあそう)

でも痴呆で忘れていたわけではなかったようで、名前を言えば「あら、〇〇ちゃん!どうしたの。似合うね」と言い、余命僅かとは思えないほど元気に喋りだします。

 

相変わらずずっと自分の話してるなこの人。

でも確かに母が言うように棘は抜けた、のか?わからん。一方的に喋っていたので、会話という会話はしていません。

 

ここにいても何をするわけでもないし早く家に帰りたい、お医者さんも帰っていいっていってる。

いつ死んでもいい、でも孫の結婚式まで生きられたらなあ、女は2人きりのときはいくら相手にわがままを言ってもいいけど、結婚は家族同士のことだから相手の親族には我慢するのよ。

(わたしに恋人がいるかも聞いてこないし結婚の話も出してないのにいきなり何言ってるんだろう)(しかも今すごくノンケの女っぽくない格好をしている孫に向かって)

 

面会時間が15分と決まっているということもあり、そこまで身構えずにいられた気がします。

もう時間だから帰るね、まずはごはん食べて、元気になってね、と言っても構わず喋り続ける祖母に、いつものように問答無用で立ち上がって帰ろうというとき。

祖母からわたしへの最後の言葉がかけられました。

 

「〇〇ちゃん、かっこいいね」